2024年8月28日水曜日

7月31日、椿井大塚山古墳、平尾城山古墳、高麗寺跡、山城郷土資料館に行きました

 7月31日、椿井大塚山古墳

JR奈良線の棚倉駅を降りて駅の西側に回るとコミュニティバスの停留所があります。

南に少し走るとその名も椿井大塚山古墳前というバス停があって、降りて東に行くとJR奈良線の下をくぐる小さなトンネルがあります。(この上に古墳がある)
その先に後円部があります。

後円部です。この写真の右側に上り口があります。

後円部の上から西を見ると家の建っている前方部との間をJR奈良線の電車が走っています。木津川の先、左手に生駒山が見えます。
椿井大塚山古墳は、全長180mをこす前方後円墳で古墳時代前期の古墳です。1953にこの古墳の後円部を南北に切断するJR奈良線の法面改良工事が実施され、偶然に竪穴式石室が発見されたということです。石室内からは、40面近い中国鏡が出土し、しかも、そのうち三十数面もが「三角縁神獣鏡」だったことで有名です。
近くでは弥生時代末期の方形周溝墓なども見つかっています。

次に駅の方に(北へ)歩いて戻っていくと、途中に永寿神社がありそのすぐ隣に6世紀の北山横穴墓群があります。

永寿神社に行く道はほんの少し山登りの気分です。実はこの神社は径33メートルの円墳である稲荷山古墳の上にあります。この写真の右奥に入って行くと平尾城山古墳があります。


竹林の中に平尾城山古墳があります。墳丘は形状不明になっていてどうなっているのかよくわかりません。全長約110メートルで竪穴式石室と木棺を収めた粘土床が認められたとのことです。
古墳を作った順番は椿井大塚山古墳→平尾城山古墳→稲荷山古墳で、急速に小規模になっているということです。南山城の大古墳の変遷では、椿井大塚山古墳(オオヤマト古墳群を除けば同時期の最大古墳)→佐紀古墳群期の飯塚車塚古墳(京田辺市)→河内政権期には久津川車塚古墳(城陽市)となっていきます。安定的に地域の繁栄を図ることはいつの時代でも並大抵のことではないようです。

棚倉駅まで戻ってまた電車に乗り、一駅南の上狛駅で降りて東に歩くと高麗寺跡です。7世紀初頭の法起寺式の寺院です。

そのままさらに歩いて山城郷土資料館まで行きました。コンパクトに旧石器~近代まで遺物の展示があり見ごたえがあります。

資料館屋上から見た木津川~奈良方面です。

暑い日でした。帰りは上狛駅まで田んぼの中の道を歩いていきます。

参考:山城町教育委員会『京都府山城町埋蔵文化財報告書第22集 )椿井遺跡第3・4次発掘調査報告』2000、山城町教育委員会『椿井大塚山古墳第4次発掘調査報告』1996、
加藤雅士「南山城地域の横穴墓群」『京都府の横穴墓ー横穴墓に葬られた人々ー』収録2018、古代学協会 - 京都府『京都府平尾城山古墳』1990









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