7月31日、椿井大塚山古墳
JR奈良線の棚倉駅を降りて駅の西側に回るとコミュニティバスの停留所があります。椿井大塚山古墳は、全長180mをこす前方後円墳で古墳時代前期の古墳です。1953にこの古墳の後円部を南北に切断するJR奈良線の法面改良工事が実施され、偶然に竪穴式石室が発見されたということです。石室内からは、40面近い中国鏡が出土し、しかも、そのうち三十数面もが「三角縁神獣鏡」だったことで有名です。
近くでは弥生時代末期の方形周溝墓なども見つかっています。
古墳を作った順番は椿井大塚山古墳→平尾城山古墳→稲荷山古墳で、急速に小規模になっているということです。南山城の大古墳の変遷では、椿井大塚山古墳(オオヤマト古墳群を除けば同時期の最大古墳)→佐紀古墳群期の飯塚車塚古墳(京田辺市)→河内政権期には久津川車塚古墳(城陽市)となっていきます。安定的に地域の繁栄を図ることはいつの時代でも並大抵のことではないようです。
資料館屋上から見た木津川~奈良方面です。
参考:山城町教育委員会『京都府山城町埋蔵文化財報告書第22集 )椿井遺跡第3・4次発掘調査報告』2000、山城町教育委員会『椿井大塚山古墳第4次発掘調査報告』1996、
加藤雅士「南山城地域の横穴墓群」『京都府の横穴墓ー横穴墓に葬られた人々ー』収録2018、古代学協会 - 京都府『京都府平尾城山古墳』1990
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