2024年8月27日火曜日

8月19日 膳所稲荷山古墳、8月20日 佐紀古墳群、8月16日 尼崎市水堂古墳

 8月19日 膳所稲荷山古墳

しばらく滋賀県の古墳を見に行っていないので膳所の稲荷山古墳(前期の前方後円墳、122メートル)に行きました。この古墳は佐紀西群の古墳と深い関係があるようです。

京阪膳所本町駅はじつにいい感じです。

南に向かって歩いて国道1号を過ぎるとすぐに膳所稲荷山古墳のある大きな茶臼山公園があります。公園の中で古墳をいったん過ぎて南側まで来て北の湖水方面を見ています。左に対岸の湖東の山、湖水が見えて、中央左の森のように見えるのが古墳です。後円部がこちら側です。
古墳を作るということは、今の時代で言えば万博やオリンピックを誘致して主催することに近いような気もします。地元の流通網や流通拠点(市)、また同時に祭祀の力を活性化させようとするという意味です。天武紀で壬申の乱終焉後に「近江の将犬養連五十君及び谷直塩手を粟津市に斬る」とあります。時代はまったく違いますが、大きな市があったものでしょうか。

古墳のくびれ部あたりに秋葉神社があり、この写真はその神社から後円部を見ています。

駅に向かって古墳のある丘から降りていくと、地蔵盆が近いのでお化粧をしています。

8月20日 佐紀古墳群

佐紀古墳群の東群にはずっと以前に行ったことがあります。しかし西群には行っていないので、ちょっと天気が心配でしたが行ってみました。
近鉄平城駅から歩いて北に向かいます。ここもまたすばらしくすてきなところで、もう満足してしまいそうです。

五社神(ごさし)古墳です。じつに堂々たるものです。前方部を見ています。

その後、また南に戻って平城駅を過ぎて佐紀石塚山古墳と佐紀陵山古墳に向かいます。この写真はよく見る両古墳の間の道です。

佐紀陵山古墳の、中央右が宮内庁による拝所、左が前方部です。

佐紀古墳群のある丘から降りて南西の西大寺方面に行くと西大寺近鉄デパートとイオンの大きな建物に出ます。
昔は佐紀古墳群や奈良北部あたりは荒野だったように言われていたように思いますが、このあたりから大型掘立柱建物が発掘されているようです。

近鉄デパートの屋上に展望台があって周囲がよく見えます。平城京大極殿と東大寺方向です。

8月16日 尼崎市水堂古墳

この8月はおおきな古墳ばかりではなく小型の古墳も見ました。

阪神本線の大阪から尼崎の次の立花駅で降りると、いい感じの立花商店街があります。ここは武庫川に近いところです。

南北に長い商店街の途中から西に折れて住宅街を歩きます。古い村の道らしいところもあります。

須佐男神社内に水堂古墳(前期)があります。拝殿左側に資料室があります。

粘土槨内の割竹型木棺内に人骨、歯、鉄刀などが見つかったとのことです。

また商店街に戻ってきました。

参考:奈良市教育委員会 奈良市埋蔵文化財調査センタ、-速報展示資料 No.22「古墳時代?の大型掘立柱建物と集落」2005年、今尾文昭『ヤマト政権の一大勢力佐紀古墳群」新泉社2014年、日本書紀 岩波文庫、岸本直文『史跡で読む日本の歴史2 古墳の時代』吉川弘文館
2010年

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