2025年11月12日水曜日

10月30日滋賀県野洲市の大岩山古墳群に行きました(銅鐸博物館、宮山二号墳、円山古墳、天王山古墳、甲山古墳、大塚山古墳、亀塚古墳、冨波古墳、古冨波古墳)

 大岩山古墳群はJR東海道本線の野洲駅からバスで行きます。辻町バス停で降りました。

古墳群の位置関係が一番わかりやすいと思ったのが下の地図です。(桜生(さくらばさま)史跡公園の説明版にありました)

左下から右上にかけて線路が走っています。上が東海道本線、下が東海道新幹線です。右上方向が彦根や米原方向、左下が野洲、大津方向です。

まず銅鐸博物館(正式名称は野洲市歴史民俗博物館)に向かいます。
この付近では1881年(明治14年)出土の現存する銅鐸で最も大きなものや昭和に出土のものを含めて24もの銅鐸が出土しており、ここの展示物は圧巻です。

銅鐸博物館敷地内にある宮山二号墳。直径15メートル、高さ3.5メートルの円墳で横穴式石室が南南西に開いている。600年前後に作られたとのことです。

円山古墳。直径28メートル、高さ8メートルの6世紀初めの円墳。西側に入り口がある横穴式石室があります。

天王山古墳。北に前方部を向けた6世紀初頭の前方後円墳。前方部から後円部を見る。
全長50メートル、高さ約8メートル。

甲山古墳。6世紀前半の円墳。直径約30メートル、高さ10メートル。西に開口する横穴式石室がある。
ここまでが新幹線線路の東側にある古墳です。

大塚山古墳と新幹線です。

大塚山古墳の説明版です。




あちこち寄り過ぎたので、大急ぎで歩いて、ようやく東海道本線の下をくぐって西側に出てきました。いい感じの古くからの人里という雰囲気です。

生和(いくわ)神社です。

神社の少し先の亀塚古墳です。墳丘はかなり削られてはっきりしないようで、全長45メートル以上の5世紀後葉から末頃の帆立貝型か前方後円墳とのことです。

実は、今日の目的地はこの富波(とば)古墳でした。

現地の説明です。「大岩山古墳群の中で最古」ということで興味津々だったのです。

墳丘は削平されていたとのことでかたちがわかりにくいのですが、この角度の写真ですこし想像できるでしょうか?右手前が後方部で左の後ろ方向が前方部です。この写真の右にある半円形は円形周溝墓が検出さてた跡を示しているようです。
円形周溝墓から前方後方墳への変化の間に、語りや祈り、流通、生産などでどのような変化があったものでしょうか。
たぶんそもそも近代の用語(例えば「他界観」などという用語)では古代のイメージを得ることはむつかしいのでしょう。

最後に寄ったのが古富波山古墳。4世紀初頭築造で冨波古墳に次ぐ円墳。墳丘の直径は約30メートルで盛土は1.5メートルを残しています。
説明版では「安氏」の首長墓と考えられるようなことが書かれています。この時代に「氏」があったのでしょうか??

このあたりの開けているところからは三上山がきれいに見えます。

帰りは生和神社前バス停から野洲駅に戻りました。
ただし、このバス便は一日にほんの少ししかありません。


参考:野洲市「大岩山銅鐸と滋賀県出土銅鐸・小銅鐸」、角健一「冨波古墳の再検討-出土遺物や形態から」「文化財だよりNo166」財団法人滋賀県文化財保護協会1991




















0 件のコメント:

コメントを投稿