2025年8月15日金曜日

8月9日、川西市の加茂遺跡に行きました

 加茂遺跡に行くはJR福知山線の川西池田駅で降ります。

駅のホームから南を見ると緑の丘のような地形が見えます。これが加茂遺跡です。加茂遺跡は弥生時代中期を中心とした遺跡です。

最明寺川を渡って遺跡に向かいます。最明寺川はもう少し下流で猪名川に合流します。
中央左に前川雨水ポンプ場 が見えています。1974年に運転開始し船のエンジンを動力とするスクリューポンプで、川西能勢口駅周辺の低い土地の雨水をくみ上げています。くみ上げた雨水は最明寺川へ流していて、最大で小学校のプールの水量 (25×15メートル)を1分間で約2.5杯分流すことができるそうです。
このあたりは治水/利水に苦労する土地だったのでしょう。

住宅街から坂を上って丘の上を目指します。
これは、川西市の「史跡加茂遺跡保存活用計画書」にある「第7図 史跡の本質的価値を構成する諸要素」という図です。遺跡の全体がわかりやすく出ています。地図外の北(上)に川西池田駅があります。

鴨神社の北あたりから東方面を見ています。すぐ下は栄根(さかね)地域、遠くの山は池田市の五月山です。

まず、遺跡域の南西隅にある川西市文化財資料館に行きました。
ユニークな展示物があり、これは上部の住居域だけではなく遺跡東側の斜面に掘られた斜面環濠からも敵の攻撃に応戦している様子とのことです。大きな石を落としているようです。実際に鏃など戦闘の痕跡があるそうです。石鏃や石槍が突き刺さったままの人骨が発掘されて有名な勝部遺跡もすぐ近くです。組織的な抗争があったのは事実でしょう。
もっとも白昼堂々最も急な斜面から襲撃が行われるものかどうかはわかりませんが。

これは儀式の想像図のようです。

遺跡の中心にある鴨神社は堂々たるものです。

境内にあった遺跡の説明です。非常に大きな遺跡だということがわかります。

神社の奥の森です。遺跡の地図によると「大型建物・方形区画」がこの近くにあったようです。

神社から出てきて付近を少し歩きました。このあたりは「環濠」があったあたりです。


帰りは鴨神社前にある加茂2丁目バス停から阪急川西能勢口駅に出ました。
多田(源)満仲殿です。

<参考>川西市教育委員会「史跡加茂遺跡保存活用計画書」2016、大阪大学考古学研究室/独立行政法人情報通信研究機構/川西市教育委員会「Web版川西の遺跡」2006 、禰冝田佳男「加茂遺跡をめぐる諸問題」関西大学博物館紀要別冊 摂津加茂遺跡の研究 2024、尼崎市/園田学園女子大学短期大学部「Web版図説尼崎の歴史」、宝塚市「たからづかデジタルミュージアム宝塚市史」、森岡秀人他「特輯弥生系高地性集落の再考論(下)」『古代文化 2023 Vol74』 公益財団法人古代学協会、川西市上下水道局経営企画課「川西市のポンプ施設」















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