綴喜古墳群
綴喜古墳群は2023年12月に国史跡となったそうです。綴喜古墳群は木津川左岸で4世紀(西暦350~400年頃)に造られた、前方後円墳及び前方後方墳で、今回指定された古墳は、大住車塚古墳、天理山古墳群、飯岡車塚古墳、八幡西車塚古墳(八幡市)です。八幡西車塚古墳以外は京田辺市にあります。
国指定になったからというわけでもないのですが、この地域をあまり歩いていなかったのでいくつか古墳と史跡を見に行きました。
綴喜古墳群調査報告書(京都府教育委員会2022)に掲載されている地図です。大きな古墳群が形成されていることがわかります。今回見てきたのは、下の通りです。
話が長くなりますのでブログを3回に分けます。
①破線内の中央付近の大住車塚と大住南塚(月読神社、酬恩庵一休寺、天理山古墳群も)
②破線枠内の左上にある八幡東車塚と八幡西車塚(松花堂庭園も)
③破線内右下の飯岡(いのおか)車塚とゴロゴロ山そして薬師山(木津川を渡って高倉神社、蟹満寺も)
同報告書によるとおおよそ以下の流れのようです。
八幡東車塚、八幡西車塚は前期後葉から中期前葉にかけて、大住車塚と大住南塚、ゴロゴロ山そして薬師山は前期中葉より中期後葉にかけて築造される。中期に入ると一斉に前方後円墳・後方墳の築造を中止し円墳や方墳が築造される。前方後円墳の築造は城陽市の久津川古墳群に集約されている。
集団間の力関係が中期になると木津川右岸の久津川古墳群の地域中心になっていったということです。
大住車塚と大住南塚(月読神社も)
JR学研都市線の大住駅で降りて、前方後方墳の大住車塚古墳(全長66メートル、5世紀初め)に着きました。中に入ることもできます。
手前が大住南塚古墳、奥が大住車塚古墳(全長71メートル、4世紀末)です。南から見ています。
大きな前方後方墳が二つ並んでいて迫力があります。
月読神社
月読神社です。ここは隼人舞伝承地や宝生座発祥地として有名ですね。
酬恩庵(一休寺)
一休寺のある丘は薪山垣外というところで、その南東にある尼ケ池の対岸から振り返って西をみています。中央から右の丘が薪山垣外で、木の茂っているあたりが(たぶん)3号墳のある場所です(立入禁止になっていました)。左の丘陵は甘南備山でしょう。
参考:『綴喜古墳群調査報告書』(京都府教育委員会2022)、国土地理院デジタル標高地形図 京都府【技術資料D1‐No.968】、『天理山古墳群発掘調査報告書』(京田辺市2022)、『薪遺跡発掘調査概報』(京田辺市教育委員会2000)、綴喜古墳群が国指定史跡に指定されました!(京田辺市役所市民部文化・スポーツ振興課)


0 件のコメント:
コメントを投稿