阪急甲陽線の苦楽園口で下車、東に向かって歩き名次神社を過ぎるとニテコ池(越水浄水場)に着きます。ここで北を見ると甲山が正面になります。いかにも甘南備という姿をしています。さらに東に行くと賽神社です。境内の説明を読むと、それまでは桜の木を神木にしてきたが明治期に祠を立てたようです。塞の神は本来は境の神でしょうから桜の木はふさわしいようです。ここで北に向かって坂を下りると西宮震災記念碑公園があります。写真の右側の碑に阪神淡路大震災の際の犠牲者のお名前が刻まれています。中央の塔は戦没者慰霊塔、その手前には野坂昭如氏の火垂るの墓誕生の地の碑、写真の左端の先には西宮市立満池谷墓地があります。近寄って写真を撮るのは失礼な気がして、遠景です。
2023年3月26日日曜日
3月22日、西宮の廣田神社に行きました
2023年3月20日月曜日
3月15日、琵琶湖の沖島に行きました
沖島のたたずまいには圧倒されました。
理屈を書く気分ではないので写真を載せていきます。
沖島近くの長命寺湖底遺跡では縄文時代の土器や丸木舟が出土し、また弥生式上器、庄内・布留期や飛鳥時代の土師器、平安時代の須恵器・土師器・緑釉陶器・ 灰釉陶器、中世の陶器なども出土していて、さらに南北朝から戦国時代にはさまざまな勢力に応じて軍事的にも役割を果たした古い歴史のある地域です。むろん、漁業が一貫した基盤であったことは変わりないようです。令和3年の沖島町の人口は261人です。
白洲正子さんは『近江山河抄』のなかで沖島について「自動車が1台もない漁村は、ヴェニスの裏町を思わせ、郊外や騒音のない島の一日は、私にとって忘れがたい思い出である」と書いています。私が連想したのはヴェニスではなく、伊勢湾の神島でしたが……
白洲さんはむかし出版社に勤めていたころに著書を1冊刊行させてもらいました。話しているときにあいまいな言い方をすると「それはどういう意味ですか?」と聞かれ、編集者としては緊張したものです。けっしてこわくはないのですが、するどい感じの方でした。
2023年3月12日日曜日
3月1日、飛鳥山(東京都北区)の古墳を見てきました
飛鳥山1号墳です。一帯は御殿前遺跡と呼ばれる縄文、弥生、古墳時代から近世に至る複合遺跡です。武蔵国の豊島郡衙もこのあたりです。王子の音無親水公園から王子神社、名主の滝あたりは何度も行ったことがありますが飛鳥山公園は行ったことがありませんでした。
武蔵野台地本郷台東端にある5基の円墳群の飛鳥山古墳群のなかのひとつ。直径31メートルで横穴式石室があり、6世紀後半から7世紀初頭に形成された。
この古墳に限って言えば、後期古墳なのですでに記紀など文献がある程度史実を反映している時期で、あまり「古代幻想」に入り込むという感じではありません。
しかし、山手線近くにいくつも古墳があって、その時期の風景を想像してみると現代のビル林立との対比で不思議な感じです。芝丸山古墳(港区芝)、亀塚古墳(港区三田)、猿楽塚(渋谷区猿楽町)、下戸塚遺跡(新宿区西早稲田)などです。
古代の風景を想像してみるのは楽しいことです。
この地形図の中央「+」印のところがおおむね飛鳥山古墳群のあたりです。(国土地理院の『地図の利用パンフレット』によると「デジタル標高地形図」は承認を受けずに引用できるようなので載せました)。標高は24.7mです。右のブルーのゼロメートル地帯のさらに右にある台地は下総国府のある台地です。豊島郡衙から下総国府方面よく見えたことでしょう。
古墳のなにが面白いのかと聞かれることがありますがうまく答えられません。
ただ、歴史のそれぞれの時代が近代の幻想(国家、父系親族組織などのしくみなどなど)に至る道であったとは言えないでしょう。
参考:東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス、『日本歴史地名体系13巻東京都の地名』、『北区埋蔵文化財調査年報 ー平成29年度―』、国土地理院「デジタル標高地形図」
2023年3月7日火曜日
2月26日、潮田登久子さんの写真展「永遠のレッスン」に行きました
当日、写真展「永遠のレッスン」会場では対談が行われ、光田ゆりさんがとってもていねいに潮田さんから話を聞いていました。





