自宅から比較的近いので、遺跡には自転車で行きました。
この地図は、『公益財団法人 大阪府文化財センター調査報告書第295集 郡 遺 跡・倍 賀 遺 跡 1』から借りました。
地図の左下にJR京都線の茨木駅、中央下付近に阪急京都線の茨木市駅、右上に同総持寺駅が見えます。上部右から右下に向かって流れているのが安威川です。
上部中央から下に向かって曲がりくねりながら下がって見える道路のような川のようなものは、元茨木川の流れの跡で元茨木川緑地の連なりとなっています。元茨木川は安威川に流れ込むように流路変更工事が行われて1949年に廃川となりました。
この写真はひとつ前の写真の場所から右(東)に移動してAmazonの建物の裏側が写っています。この付近は何度も発掘が行われていますが、このガランとした空き地が2023年~2024年の発掘現場のようです。
また「この遺跡の墓域は周辺のムラ人も共同で造墓ができる、現代でいう霊園のような場所だった可能性もあ」ると報告されています。(同上)
遺跡の時期については、「集落域ではⅤ様式の早い段階で環濠が完全に埋められる。その後周辺には3082土坑や4170・4187土坑などが築かれるが、集落は次第に解体に向かい、Ⅴ様式後半には完全に姿を消す。古墳時代布留式期の遺構もわずかに1基のみ3138土坑が確認されているが、それ以外にはまったくなく、人々が生活していた様子はうかがえなくなる。」とのことです。弥生時代中期に多くの人ばいた場所は古墳時代前期には無人となってしまったようです。
また、茨木市の弥生遺跡といえば東奈良遺跡が有名ですが、郡・倍賀遺跡もとどのような関係になっているのかまだはっきりしないようです。
この橋は安威川にかかる西河原新橋です。おもしろい形です。日本橋梁建設協会のの橋梁年間データベースでは橋梁形式が「ニールセン橋」となっていますが二重になっている場合もニールセン橋でいいのでしょうか?いまの茨木川と安威川の合流地点です。安威川の左岸(東側)から見ていますので遠くに見えるほうが茨木川です。遺跡は対岸の奥のほうになります。
参考:『郡 遺 跡・倍 賀 遺 跡 1茨木市文化財資料集第71集 公益財団法人 大阪府文化財センター調査報告書第295集 2018、「郡遺跡・倍賀遺跡発掘調査【 全体解説編】」youtube 公益財団法人 大阪府文化財センター、大阪府茨木市 「【報道提供資料】 郡遺跡・倍賀遺跡で弥生時代の集落みつかる ―2,000年前のムラの全貌が判明―」2024、茨木市教育委員会・公益財団法人大阪府文化財センター「郡遺跡・倍賀遺跡 発掘調査現地説明会資料」2024、茨木市教育委員会 『大阪府茨木市倍賀遺跡発掘調査概要報告書』 1993、大阪府茨木市『倍賀追跡発掘調査概要報告書―平成4年度発掘調査概報』、茨木市教育委員会『茨木市郡遺跡発掘調査概報 1978 、茨木市教育委員会 『郡遺跡発掘調査概要報告書』2005、大阪府茨木市【報道提供資料】 、茨木市教育委員会『平成2年度 埋蔵文化財発掘調査概要」1991







