2月28日、交野市雷塚古墳(森1号墳)から傍示の棚田に行きました。
交野は、源氏物語にも出てくる『交野少将物語』のゆかりの地域ですので一度行ってみたいと思っていました。また、白石太一郎氏の『古墳とヤマト政権(文春新書)』に「出現期古墳」としてポツンと森一号墳が出ていたのが気になっていました。ほかの古墳には行ったことがあるのですが。
まず、京阪交野線の河内森駅で下車して東に歩きます。
するとすぐ近くに天田神社があります。神社の由緒を見ると、祭神は住吉三神(表筒男命 、 中筒之男命、底筒之男神)となっていますが、もともとは交野物部氏の土地であったと書かれています。しかしこれは『先代旧事本紀』から来ている話ですので、コメントはしません。ここから傍示峠に向かう道を登ってしばらく行って、見当をつけて山の中に入っていくと雷塚古墳(森1号墳)に着きます(古墳入り口などという表示はありません)。山の中にありながら全長106メートルの立派な前期前方後円墳ですが、出現期といってもいいのでしょうか?写真は後円部を見ています。
少し歩くと、国見岩に着きます。淀川の対岸(北)の高槻市や京都方面もよく見えます。
国見岩のすぐ横にあるのが鍋塚古墳です。このあたりのはずですが、テープが張ってあり中に入れないのでよくわかりません。森1号墳と近い時期の前方後方墳のようです。あるいはもっと古いのかもしれません。
すぐ近くには南山弥生時代住居遺跡があります。いわゆる高地性集落でしょうが、どのような機能を持っていたのでしょうか?
さらに歩いていくと切通しがあります。すると、見事な棚田が広がっていました。
大満足の遠足コースでした。
参考:交野市埋蔵文化財発掘調査概要(交野市教育委員会1996年)、「広報かたの 交野の歴史探訪 ー森古墳群と鍋塚古墳ー」(交野市)、上遠野浩一『茨田と交野の開発 ―ミヤケに関連して―』(歴史地理学 52-2(249)、2010) 、星のまち交野HPに引用の鍋塚古墳の発掘調査概要説明会資料:真鍋成史「鍋塚古墳の発掘調査概要一主に後方部側の調査を中心に一」(交野市文化財事業団2001年)

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