2025年10月6日月曜日

9月15日、愛知県犬山市 東之宮古墳に行きました

 


東之宮古墳に行くにはまず、名鉄犬山線の犬山遊園駅で降ります。
駅から古墳への行きかたは下の駅前案内板の通りです。木曽川の南、犬山遊園駅の東です。

車の場合は南の成田山の駐車場に向かうのでしょうが、駅から歩いていく場合は駅の東の龍済寺や龍泉寺の前の道を上って行きます。

左のお寺が臨済宗妙心寺派の龍済寺で、上の地図中にある瑞泉寺の塔頭です。

成田山のある広場です。東之宮古墳入口の看板があって、看板奥に登り口があります。正面に見えているのが東之宮古墳の木立です。

古墳に着くと解説版がいくつもあります。これはもっともシンプルな案内(南解説板)の一部です。

同じ案内板にある古墳のプランです。

古墳に登って前方部から後方部を見ています。

今度は後方部から前方部を見ます。


成田山から見た犬山城です。

木曽川を通過する名鉄特急の雄姿です。

「史跡東之宮古墳整備完了1周年記念シンポジウム」を youtubeで見ていると、この古墳では冬至の日の出位置が前方部からみて後方部の中央に来るとのことです。またほかの古墳や遺跡の例を挙げて太陽や月、また星の運行が意識されていることを指摘しています。さらにこれらを踏まえて、考古天文学の本格始動という言及もあります。当時カノープスや南十字星は今よりもはるかに見やすかったという話などは楽しい話題です。
天体の運行を強く意識していることは、おそらくそうなのでしょう。漠然と道教などと呼ばれている諸家はポートシティのような北九州から当然日本列島にも流れ込んでいたことでしょう。
ただその諸家は非常に多くあってまた教義もバリアントも無数にあったことでしょう。

それから、この古墳の前方部の先に「大岩」があることが地図にも書かれているます。もしそれが縄文時代までさかのぼる水の信仰に関係するなら、さらに事態は複雑なことになります。いまからもろもろの要素を跡付けて整理することは一体可能なのか?などと思います。

もう一つ興味深い指摘は、古墳の前方部の後ろの先に弥生時代の環濠などが発掘された鵜沼古市場遺跡(各務原市)があることです。というのはどのくらいの古墳にに当てはまるかはわかりませんが、前方部から後方部(後円部)に向かって儀式を行うのが一応の原則であるとするなら前方部の後ろに被葬者のホームがあって、後方部(後円部)の後ろには重要なサンクチュアリがあるというのが落ち着きがいいように感じるからです。
どうなのでしょう?

参考:犬山市史跡「東之宮古墳」、犬山市「史跡東之宮古墳整備計画」2021、赤塚次郎『邪馬台国時代の東海の王 東之宮古墳』新泉社2018 、犬山市「史跡東之宮古墳整備完了1周年記念シンポジウム」 youtube 2022 、岩本崇『東之宮古墳の鏡』東海古墳時代研究会第4回研究会「東之宮古墳の研究はどこまで進んだのか」資料集 2021 、国立文化財機構e国宝「東之宮古墳 鉄鏃ほか」、


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