蛇行剣と盾形鏡が出土した富雄丸山古墳に行きました。ミーハーです。
まず、近鉄奈良線の富雄駅で降りて南に行きます。富雄川沿いを行くと添御縣県坐神社に着きます。
「そうのみあがたにいますじんじゃ」と読みます。祭神は建速須佐之男命、武乳速命(県主の祖先神)、櫛稲田姫命となっています。とてもめずらしい形式の神社です。添という地名は以前から気になっていました。神武紀で、ナガスネヒコが死んでヤマトがすでに平定されたすぐ後のところに「層富(そほ)県の波多丘岬(はたのをかさき)に新城戸畔(にひきとべ)というものあり…」とあって、「その勇力(たけきこと)を恃みて」帰順しなかったので「皆誅さしめたまふ」とあります。
「波多」はこのちかくの赤膚、五条山あたりを指し、「新城」は大和郡山市新木のようです。
ひとつ気になったのですが、どうもこのあたりからは宝来山古墳(垂仁陵)や佐紀盾列古墳群は、宝来や赤膚の丘があるので見ることはできないようです。
てっきり富雄丸山古墳から見えると思っていましたが間違いのようです。繋がっている地域と考えないほうがいいのでしょうか。富雄丸山、宝来山、佐紀盾列ともに大きく時代が違うこともないと思いますが…。
また富雄です。
その後、こんどは北に戻ります。第二阪奈道路(写真右)をまた超えて、東を見ています。赤膚方向です。
巨大な宝来山古墳はサギやカワウの森となっていました。見にくいのですが、左のほうに点々と見えるのはアオサギです。
参考:『日本書紀』(岩波文庫)
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