2024年11月22日金曜日

10月31日、近江の前方後方墳 神郷亀塚古墳(附:行ったことのある関西の前方後方墳)

 神郷亀塚古墳へ

JR東海道本線の能登川駅(東近江市)近くです。こういう町は好きです。

駅から西に30分ぐらい歩いて古墳の近くまで来ると広い造成地がありました。少し前まで水田か畑ではなかったのでしょうか?正面奥の森の中に式内乎加(おか)神社があります。
乎加神社はまさに鎮守の森という感じです。

神社の境内です。このあたりは近くに愛知川もあり水が豊かな土地のようです。

古墳の全体が見える場所がなかなか見つからなかったのですが、この写真ではややわかりやすいでしょうか?
中央左側が後方部、右側が前方部です。前方部は南南西を向いています。
全長 36.5m の前方後方墳で、なんと3世紀前半に造られたとのことで卑弥呼の時代より古いものです。出現期の古墳が前方後方墳である地域は東海から関東にかけて多くあります。近江は日本海から近畿、東海を結ぶ流通ルートのかなめであり、良盆地南東部を中心とした前方後円墳グループとは別に近江、東海、関東のグループがあったとみることができるようです。

行ったことのある関西の前方後方墳

元稲荷古墳(京都府向日市 2023年1月)
これは迫力のある古墳です。3世紀末の古墳で全長約94メートルです。この古墳は向日神社のすぐ横にあります。
次に紹介する神戸市西求女塚古墳と墳丘裾の外郭線がほとんど一致して、両者は同一のモデルプランからつくられたとのことです。
この古墳は向日神社のすぐ横にあります。
(向日市教育委員会「平成 25 年度調査研究成果展『王墓発掘』リーフレット 元稲荷古墳 ―最古の大型前方後方墳―」より)


西求女塚古墳(神戸市灘区 2022年12月)
全長98メートル以上で古墳時代前期初頭の古墳です。写真は後方部を見ています。
山陰地域特有の土器も多く出土していて、石室の天井石に使われている石材のうち緑泥片岩は和歌山県や徳島県のもので、広域ネットワークがあるようです。
西求女塚古墳・処女塚古墳・東求女塚古墳は、万葉集などにある菟原処女(うないおとめ)の伝説でも有名です。

処女塚古墳(神戸市灘区 2022年12月)
全長約66メートル。3世紀後半の古墳です。写真は後方部です。ここでも山陰地域特有の土器も多く出土しています。神戸~明石の古墳の近くには集落の跡が見当たらないとよく言われるようです。「海の民」の遺跡なのかもしれません。
処女塚古墳の場所は「沢の鶴資料館」の近くと言うとわかりやすいでしょうか。

波多子塚古墳(奈良県天理市 2023年1月)
山の辺の道を歩いた時に見ました。大和古墳群に属し全長140メートルで3世紀後半の古墳です。近くの杣之内地区には最大の前方後方墳である西山古墳(全長約190メートル)もありますがこちらには行っていません。
近くには前方後方墳がいくつかありますがそれでも前方後円墳が優勢です。なぜ前方後方墳がここにあるのか不思議ですが、このころは属人的に連合が成り立っているでしょうからその実情を想像するのはむつかしいでしょう。

弁天山古墳群D2号墳(大阪府高槻市2024年10月)
この古墳は今はありません。発掘調査報告書によるとこのあたりにあったようです。
不思議な古墳で、発掘調査報告書によると須恵器の出土もあり5世紀中頃以降の築造となっています。
高槻市の南を流れる淀川をさかのぼったところの大住車塚古墳は5世紀に入るようですから何か関係があるのでしょうか。
場所は三島古墳群の中の岡本山古墳(弁天山A1号墳)、弁天山古墳(弁天山B1号墳)の近くです。

(京都府京田辺市の前方後方墳である大住車塚古墳と大住南塚古墳については2024年5月1日のブログ「綴喜古墳群に行きました①」に載せました)

参考:植田文雄 『前方後方墳の謎』学生社2007年、東近江市「東近江市の遺跡シリーズ 7
神郷亀塚古墳」、向日市教育委員会「平成 25 年度調査研究成果展『王墓発掘』リーフレット 元稲荷古墳 ―最古の大型前方後方墳―」2013年、向日市「元稲荷古墳」、神戸市文化財情報「西求女塚古墳」、神戸市教育委員会文化財課 「西求女塚古墳 第5次・第7次発掘調査概報」1995年、神戸市教育委員会「西求女塚古墳 第12次調査 神戸市東灘区」2001年、
神戸市教育委員会「史跡処女塚古墳」1985年、天理市教育委員会『天理市埋蔵文化財調査報告8:波多子塚古墳』天理市教育委員会2007年、天理市「波多子塚古墳」、高槻市教育委員会『高槻市文化財調査報告書3:弁天山古墳群の調査』1967年 





2024年11月20日水曜日

10月26日、榊原斎写真展『LOST AND FOUND』(10/22~10/27 京都写真美術館)

 


京都の岡崎に行く用事があり、帰りに榊原斎写真展『LOST AND FOUND』を見ました。

まず、日本画を連想してしまいました。

その印象は、おそらく作者が正面から対象に向き合っているというよりは装飾的なものに向かい、その後ろに隠れているようだという感覚から来るのでしょう。
そのためかもしれませんが、会場はすばらしく居心地のよい空間になっていました。
部屋と写真の親和感です。
室内の光の中にある写真について考え抜かれていました。