2024年2月17日土曜日

出会う鳥の違い 東京周辺と大阪(2024年1月まで)

 東京と大阪を往復する生活を始めみて、それまで関東では見たことのない野鳥が関西では身近にみられることに気が付きました。また、その逆もあります。

(たんなる実感であって生態調査をしているわけではありません)

「鳥の羽根の不思議」展 ツミ




昨年(2023年)の10月から今年(2024年)の1月にかけて、大阪府高槻市の「あくあぴあ芥川」という自然博物館で「鳥の羽根のふしぎ」という特集展示が行われました。
そのために使用する小型の猛禽類ツミの写真がなかなか見つからないという話を聞きましたので、以前撮った写真を提供しました。
かなり前の2008年に埼玉県狭山市で撮った写真で、パネルの左上に小さく載せていただきました。
ツミは関西の方が少ないのでしょうか?

ケリ

(2020年4月撮影)ケリは千葉県流山市で見られると聞いて東京西郊から電車を乗り継いで見に出かけたことがありましたが結局見つけることができませんでした。ところが高槻市では日常的に見ることができます。田んぼのそこここにいます。幼鳥を連れていることもあります。驚きです。

コシアカツバメ

(2020年5月)コシアカツバメも高槻市ではよく飛んでいます。これは以前八王子にいると聞いてやはり電車に乗って探しに行きましたが見つけられなかった野鳥です。毎年見ています。

イソヒヨドリ



(2024年1月)イソヒヨドリは神奈川県の江の島や真鶴岬で見たことがあります。つまり、海まで行かないとみられないと思っていたのですが、高槻市では近所をよく飛んでいます。これにも驚きました。

カワガラス

(2024年1月)カワガラスが摂津峡で毎年営巣すると聞いていって来ました。関東にもいるのかもしれませんが私は初めて見ました。カワガラスは深山幽谷にいると思っていましたが市街地からそれほど離れているわけではない摂津峡にいたのでこれもビックリです。

アカハジロ


(2022年12月)とても珍しいアカハジロも高槻市の池で見ることができます。毎年来ているようです。関東にも来るのでしょうか。

ヌートリア


ヌートリアはもちろん野鳥ではありません。でも関東では見たことがないので載せてみます。もっとアップのカットもありますがちょっとグロテスクな感じなのでこの写真にしました。淀川でも芥川でも川べりを歩いているとよく見かけます。






ヌートリア

京都市右京区あたりの古墳(2023年12月など)

京都市には古いものがない?

京都市内にはあまり(平安時代以前の)古いものがないように感じたことがあります。

しかし飛鳥・奈良時代には、葛野郡(右京区のあたり)に、松尾大社やのちに広隆寺と呼ばれる蜂岡寺、北野廃寺などがあり、愛宕郡(北区・左京区のあたり)には上賀茂神社や下鴨神社や北白川廃寺、出雲寺などがあります。もっと以前にさかのぼると縄文時代の北白川式土器は有名ですし、弥生時代の遺跡も市内で発掘されており、後述のように古墳もあります。平安時代以前には何もない原野であったわけではなく、畿内のごく普通の風景があったようです。

それでも、いま平安京が市内にある平安時代の建築物は醍醐寺五重塔(伏見区)、東寺宝蔵(南区)ぐらいで、何となく眼に「見える」古い遺跡は少ないという感じがします。

市内の古墳時代の遺跡

下は京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館のリーフレット「古墳時代」の中にある遺跡マップです。これで見ると遺跡のある地域が偏っていて京都の繁華街は空白になっています。もっとも、もともと古墳時代の遺跡が空白の場所にはなかったとは言い切れません。平安京を作って営むなかで破壊された可能性、市街地の発掘が困難であることもあるのかもしれません。

右京区あたりの地形


遺跡マップに出ている蛇塚古墳、天塚古墳などがどのような土地の上にあるのかがわかりやすく描かれている図です(戸口伸「平安京右京の衰退 と地形環境変化」)。太秦や清水山古墳、天塚古墳という文字が載っている部分は上位面の扇状地帯、蛇塚古墳があるのは完新世段丘Ⅱ面の自然堤防上で、それぞれの古墳が見晴らしの良い位置に立っていることがわかります。

右京区あたりの古墳いろいろ

京都の古墳はいくつか訪れていますが集中して行っているわけではなくだらだらとみているので、以下の写真を撮った時期はバラバラです。「古墳時代の遺跡マップ」にある古墳を中心に写真をいくつか挙げてみます。(なお、この地域の古墳を秦氏と関係づけることがありますが、秦氏の氏としての実態、移住時期など不明の部分が多すぎるので古墳の被葬者については触れません)

蛇塚古墳

(2021年12月撮影)なんといってもインパクトがあるのは蛇塚古墳です。巨大な石室が露出している後期古墳です。
京阪嵐山本線帷子ノ辻駅から南に行った住宅街の中にあります。グーグルマップで見ると家の並びがはっきりと右上に後円部、左下に前方部の前方後円墳の形に沿っているように見えます。

仲野親王墓古墳

(2023年12月)古墳時代の遺跡マップに「仲野親王墓古墳」と書かれている古墳です。上の蛇塚古墳から北に行き、帷子が辻駅を過ぎてさらに北に行ってJR嵯峨野線太秦駅のすぐ近くにあります。どのようないきさつかわかりませんが桓武天皇の皇子の墓ということにされていて宮内庁が管理しています。写真で分かるように段丘上に築かれている後期の前方後円墳です。

嵯峨七ツ塚古墳三号墳

(2023年12月)中央のやや高く見えるところが嵯峨七ツ塚古墳群の中の一つ、四号墳です。付近に点々と円墳が散らばっています。場所は広沢池と大沢池の間のあたりで、このあたりを歩いているとじつにのびのびとした気持ちになります。ここは「古墳時代の遺跡マップ」には載っていません。

嵯峨野入道塚古墳

(2023年12月)この古墳もマップには載っていません。入道塚古墳(恒貞親王入道塚陵墓参考地)は方墳で、後ろに見えるのは京都府立北嵯峨高校です。ここでも立派な石室の石が露出しています。

天塚古墳

(2023年10月)天塚古墳住宅街の中にある前方後円墳です。嵐電天神川駅から歩いていけます。小ぶりですが古墳はこんもりとした森のような雰囲気です。

双ヶ丘一号墳

(2023年10月)少し離れたJR花園駅から双ヶ岡を登って丘の上を北に向かうといくつも古墳があります。これはそのうちの一つです。
以上の古墳はいずれも京都市右京区の中にあります。

天皇の杜古墳

(2021年12月)
この古墳はこれまでの右京区ではなく西京区にあり阪急桂駅から歩いていくことができます。天皇の杜古墳は4世紀代の前期前方後円墳です。写真は前方部を見ているところで全長83メートルのじつに立派なものです。しかしこの古墳はむしろ向日市や長岡京市方面の乙訓古墳群に属していて、これまで見てきた右京区の後期から終末期の古墳とはその背景にある集団の規模と伝統には大きな差があります。

参考:(財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館「古墳時代」「京都市域の前方後円墳」「飛鳥・奈良時代」、戸口伸「平安京右京の衰退 と地形環境変化」人文地理 第48巻 第6号 (1996)、飛野博文「古墳からみた5・6世紀の山城地方」京都大学構内遺跡調査研究年報 1984, 1982: 105-114、細川康晴「古墳時代後期の京都」京都府埋蔵文化財調査研究センター京都府埋蔵文化財論集第7集(2016)、東洋一・加納敬二「嵯峨野における秦氏の到来期について-地形から見た嵯峨野の開発過程-」京都市埋蔵文化財研究所研究紀要10, 2007、高橋潔「太秦・嵯峨野地域の遺跡2 古墳の時代秦氏登場」京都市考古学資料館文化財講座2011