2023年10月10日火曜日

ローマ帝国の辺境付近(9月11日,13日グラスゴーのローマの砦周辺とクライド川, スコットランド、9月17日ユトレヒトのHoge Woerd博物館, オランダ)

9月にイギリスとオランダに行く用事があり、現地休暇の日にすこし散歩をしました。

9月13日 グラスゴーのローマの砦周辺とクライド川, スコットランド

これはローマ帝国の辺境図です。この地図の左上のイングランドとスコットランドの境界あたりにHadrian's Wall(ハドリアヌス長城)があり、さらに北にWall of Antoninus(アントニヌス長城があります。こちらはケルトの攻撃が激しく短命で終わりローマ軍はハドリアヌス長城まで撤退します)が見えます。

それから、このブログの後半でユトレヒトに触れますが、この地図のオランダ側に Lugdunum Batavorum(バタヴィ族の要塞)があり、ユトレヒトはその東の旧ライン川沿いにあります。

この地図はアントニヌス長城の詳細です。グラスゴーの北を通っています。地図にはありませんが東(右)の先にエジンバラがあります。
この写真は上の地図のCleddansの近くです。スコットランドの典型の低い丘が見えます。

同じ場所です。なだらかな坂道です。

以下はグラスゴー市内を流れるクライド川沿いの散歩記です。
グラスゴー市内のホテルの窓から西の方を見ると、ちょっとわかりにくいのですが、クライド川に面している1931年に完成したフィニストンクレーン(Finnieston Crane)が見えました。グラスゴーの造船業が盛んな頃に、蒸気機関車やタンクなども船に積み込んだそうです。
市内からクライド川の下流方面を見ています。この先の河口付近はイギリスの産業革命を支えたグラスゴーの造船業の中心地です。クイーンメリー号もここで作られたそうです。

これは2009年に完成したクライド川を渡るトレードストン橋(波状橋)Tradeston bridge (Squiggly Bridge)です。ちょっと横浜市の境川遊水地公園にある鷺舞橋を連想しましたが構造はかなり違うようです。

1853年にできた南ポートランド通り吊橋(South Portland Street Suspension Bridge)です。クライド川の最初の歩道橋です。

吊り橋を見て振り返ると派手な絵が延々と続いています。グラスゴーではいわゆるストリートアートが多くの場所に描かれていて川沿いにもたくさん見られます。市のコミュニティ・アセット担当議員が「グラスゴーはストリートアートで定評があり、それは公共スペースに色と活気を頻繁に加える文化です」と言っているぐらいです。でも宗派的、同性愛嫌悪的、攻撃的、人種差別的、露骨なものは消されるそうです。


これはスペイン戦争時の国際旅団の記念碑(1980年)です。英国には全部で53か所の同様の記念碑があるそうです。全英から2100人の義勇兵が参加して534人が戦死、そのうち65人はグラスゴー出身とあります。「BETTER TO DIE ON YOUR FEET THAN LIVE FOR EVER ON YOUR KNEES」というDolores Ibarrurlの詩が刻まれています。その意気や壮ですが、この人はスペイン戦争後にソ連に亡命したようです。1980年にソ連派の人の詩を使うのはどういうことなのでしょう?1979年に保守党のサッチャー政権が誕生しています。スコットランドでは反対派のリアクションが協力だったのかもしれません。

9月17日ユトレヒトのHoge Woerd博物館, オランダ

ホーゲ・ヴェルト博物館(Museum Hoge Woerd)正面です。
ローマ帝国時代を主なテーマにした考古学博物館です。
ホームページではおおむね以下のように説明しています。
この新しい文化公園は『地下の駐屯地の町』を初めて目に見えるようにしました。もちろん、目玉はローマ時代の要塞自体です。西側の丘の方には、ライン川が流れていました。反対側は道路です。これに沿って大きなキャンプが発展し、何百人もの職人、商人、パブの所有者、兵士の女性と子供たちが住んでいました。東側は、当時庭園、菜園、納屋などです。北門の前には浴場、『フィットネスセンター』、クラブハウスがあり、人々は定期的に集まり、ニュースを交換したり、話し合いました」
行き方は、ユトレヒト中央駅からバス、あるいはゴーダ方面に向かう列車ですぐのUtrecht Terwijde駅からバスで行くのが便利のようです。 


これが博物館の目玉の北西ヨーロッパで最も完全に保存されたローマの川船です。博物館のメインのウィングの1階の大きなスペースを占めていてたいへんな迫力です。
この船は稼働状態のまま西暦190年頃に沈没しました。そのため、船の積み荷の大部分は保存されていました。

このころの多くの衣服は羊の毛で作られていたようです。このハサミは羊の毛を刈るために使用された可能性があるとされています。

博物館の中庭の様子です。周囲はローマ時代の砦を模した壁がめぐっています。気持ちのいいレストランもあります。

博物館はローマ時代が主なテーマですが、別のウィングでは古代から現代までの幅広い展示も見られます。このギャラリーではそのエッセンスをビジュアルに示しています。

パノラマムービーで各時代の当地の様子を示しています。これは紀元前1300年とあります。このころは大きな川は流れていないようで森の中です。

ローマ時代です。見張りの塔がありローマ兵が歩いています。大きな川が迫っています。旧ライン川でしょう。

1200年ごろ。農村になっています。またライン川は流域を変えたようです。

1940年5月10日、ドイツ軍のユンカース88Aがユトレヒト上空で撃墜されました。ここでもグラスゴーと同じく20世紀の戦争の影が見られます。

これはなんだろう?と思ったのですが、ユンカースのプロペラを恐る恐る触ってみる村の少女の像のようです。この付近の村では大事件だったのでしょう。

参考:Emerson Kent, Map of the Antonine Wall, Scotland, built AD 142/143, Roman Britain、  Emerson Kent, Historical Map of the European Provinces of the Roman Empire, University of Texas at Austin. Historical Atlas by William Shepherd、  Amy Irvine, The Finnieston Crane, Glasgow, Scotland, United Kingdom、  Glasgow City Council, Legal Graffiti Walls To Be Trialled In Glasgow, Published: Tuesday, October 3, 2023、アルベルト・アンジュラ『古代ローマ帝国15000キロの旅』河出書房新社2013年、中村隆文『物語 スコットランドの歴史』中公新書2022年、木村正俊『ケルト全史』東京堂出版2021年、川成 洋「イギリス『国際旅団』の最後の挑戦」、佐藤弘幸『図説オランダの歴史』河出書房新社2019年、Museum Hoge Woerd ホームページ