2023年6月19日月曜日

最近見た3つの写真展(5月31日ヴォルフガング・ティルマンス、6月2日大辻清司、6月16日城戸保)

 ヴォルフガング・ティルマンス展「MOMENTS OF LIFE」(エスパス・ルイ・ヴィトン東京 2023.02.02-06.11)

5月31日に寄ったヴォルフガング・ティルマンス展では2000年から2020年にかけての写真が額装されずに展示されていました。

この人の写真を見るといつも「調和の幻想」という言葉が頭に浮かびます。静的な落ち着いている写真だという意味ではありません。

周囲の人々や政治状況を含む社会、撮影者の「自我」、制御できない写真の深淵のそれぞれとスリリングな緊張を持ちながら一種倫理的な厳しい姿勢があるようです。

ヨーロッパの論調を見てみようと思って探していたら彼をl'anticonformisteと呼んでいるサイトがありました。誰がconformisteなのでしょうか?

おそらく国家や民族の名前を振りかざす全体主義に従順な人々なのでしょう。

MoMAのHPのティルマンスの部分では2021年の曲 “Celloloop / Stronger Than This”を聞くことができます。

We got to be stronger than this 
We got to be stronger than this
Rebuilding the future
Rebuilding the now
Rebuild the future
Rebuild the now

ヒューマニストの面目躍如といったところです。

生誕100年大辻清司 所蔵作品展 MOMATコレクション (2023.5.23–9.10) 東京国立近代美術館

6月2日に行った大辻清司展では展示を「実験」と「共同」、「具体」と「物質」、上原2丁目に分けて、それぞれ「実験工房」や「グラフィック集団」にかかわる写真、1956年から1970年にかけての美術をめぐる撮影、自宅とその周辺の写真を展示していました。

これは写真ではなくヴィデオで、自宅前の通りから突き当りの商店街に向けてただただ13分47間(16ミリフィルムの)カメラを動かした記録です。
この作品があることは以前聞いたことがありますが初めて見ることができました。

大辻氏は「We got to be stronger than this 」なんてこれぽっちも思っていなかったことでしょう。ものが目の前にあるということが不思議で、それが写ることがまた不思議だったののではないでしょうか。

城戸保作品 SOU(第11回JR総持寺駅アートプロジェクト)


写真は意外に言葉に支配されていると思います。たとえば、「自分は世に受け入れられていない」と思えばそのような写真が撮れますし、「人間には『徳』が必要である」と思えばそれらしい写真になるところがあります。

しかし城戸保氏の写真ではそれは当てはまらないようです。
あたかも、はたして撮影装置が本当に写るかどうか試した写真の、その一部をランダムに切り取ったようなように感じます。
タルボットの写真を思い出した、と言ったら失礼でしょうか。

茨木市のサイトによると「『SOU』は、生活の中でアートに出会い、アートを知るきっかけになることを目的に平成30(2018)年3月のJR総持寺駅開業とともに始まったもので、駅改札前の高さ2.6mの自由通路壁面に、有名・無名、地域・年齢に関わらず様々な作家の絵画や写真、現代アート、児童画などジャンルを超えた様々な作品を大型プリントにして展示しています。」と書かれています。主催は茨木市、企画・運営はOne Art Projectです。
ありがたい企画です。


参考:Wolfgang Tillmans, l'anticonformiste, radio france. 22 juin 2018、Wolfgang Tillmans, MoMA、SOU Art Project 茨木市、所蔵作品展 MOMATコレクション(2023.5.23–9.10)東京国立近代美術館

旧石器時代遺跡いくつか(神奈川県綾瀬市吉岡遺跡群5/16、相模原市津久井城跡馬込地区遺跡5/27、東京都府中市武蔵野台遺跡6/4、大阪府高槻市郡家今城遺跡6/13。それから2020年の相模原市田名向山遺跡)

 

神奈川県綾瀬市吉岡遺跡群5/16

最近、旧石器時代遺跡をいくつか見ました。
と言っても、ただ遺跡近くを散歩しているだけです。旧石器時代の遺物はまず石だけですのでインパクトが弱いのは致し方ありません。

この写真は神奈川県綾瀬市にある吉岡遺跡群のすぐ横を流れる目久尻川(相模川支流)です。上流方面(北)を見ているところで、実に最高の散歩道です。

遺跡は綾瀬浄水場建設に伴って調査され、この写真の右(東)方面です。

発掘現場はこのあたりです。小田急江ノ島線長後駅から蟹ヶ谷公園を目指してバスで20分ほどです。
現地にある綾瀬市の説明ボードには「県内で最古段階の約3万7千年前の石器群が発見されたほか、約2万4千年前の石器は、本遺跡群から約2km離れた用田鳥居前遺跡から出土した石器と接合することがわかりました。(…)当時の人々が、まず吉岡遺跡群で石器を製作し、必要なもののみをそこから持ち出し、狩りなどを行いながら用田鳥居前の地を訪れたという具体的な生活の一部が目にうかびます」とあります。
石器の接合とは、違う場所から出土した石器の形状が重なって(接合して)いると同一の石から作ったことがわかる、ということのようです。

相模原市津久井城跡馬込地区遺跡5/27


相模川の対岸から遺跡方面を見ています。ここに来るには京王相模原線あるいはJR横浜線の橋本駅からバスを利用します。
手前が小倉橋、高いほうが新小倉橋です。遺跡は写真左に見える山(津久井城跡)のふもとにあります。

ここは3万年以上前の遺跡で、環状ブロック群が発見されたとのことです。
環状ブロック群とは、後期旧石器時代前半期に見られる、石器が集中するブロックがが円形に分布しているものです。旧石器時代人のキャンプ跡や石器製作現場かと言われ、交易を示すとも言われているようです。
馬込地区の環状ブロック群
「ナウマンゾウに出会った石器たち-3万5千年前の石器製作跡か?-(財)かながわ考古学財団 畠中俊明 」より引用

東京都府中市武蔵野台遺跡6/4

武蔵台遺跡の最寄り駅はJR中央線の西国分寺駅です。
国分寺崖線の上にあり、いまは都立多摩総合医療センターの敷地です。この写真はその敷地から下を見ています。
この遺跡では、旧石器人が約35,000年前から20,000年前までの石器が約27,000点が出土、近くの武蔵国分寺跡関連遺跡や多摩蘭坂遺跡を合わせると約40,000点に達し、南関東地方で最大級ということです。伊豆・箱根産の黒曜石を使用していたとの報告もあります。
武蔵野台遺跡近くから北西に向かう多摩蘭坂です。多摩蘭坂遺跡はこの坂の左右に広がっています。
国分寺崖線に沿っては多くの湧水群があり、それが集まって野川となり、多摩川中流の二子玉川で多摩川に合流します。

大阪府高槻市郡家今城遺跡6/13

この写真は大阪府高槻市を流れる女瀬川(にょぜがわ)です。住宅街の中を好ましい感じで流れています。
正面に見えている左岸のあたりが郡家今城遺跡で、最寄り駅はJR京都線摂津富田駅です。
(継体天皇陵の今城塚古墳の近くです)

高槻市文化財課のサイトでは以下のように説明しています。
「郡家今城遺跡では、約2万年前の旧石器時代のキャンプ地(略)が、何か所もみつかっています。折れた石器や焼石料理に用いた河原石、石器の素材や石器づくりで出る石くずなどが多数出土しました。そのころ、この一帯は、動物や木の実が豊かな、ブナなどの樹林が広がっていました。狩人たちは小集団で食物を求めて移動しながら生活していたと考えられています。移動の途中には、他集団との出会いもあったようです。出土した掻器(皮なめしの道具)のなかには北陸地方産の石器もあり、広範囲にわたる交流の様子がうかがえます。」
これは、『郡家今城遺跡発掘調査報告書─旧石器時代遺構の調査─高槻市教育委員会 1978』からの引用です。なんともかわいいイラストでうれしくなります。

なお、この遺跡で見られる「国府型ナイフ形石器」と呼ばれる横長の石器は、埼玉県上尾市の殿山遺跡でも見つかっているそうです。どうやってはるばると運ばれたのでしょうか(あるいは技術者の移動?交易?)。

2020年の相模原市田名向山遺跡


これはおまけで、2020年に行った神奈川県相模原市の田名向山遺跡です。
このブログの最初に「旧石器時代の遺物はまず石だけでインパクトが弱い」と書きましたが、ここは違います。この写真の奥に相模川が見え、住居址と言われる遺構が示されていて驚きます。

相模原市の遺跡案内によると「土地区画整理事業に伴う発掘調査により、平成9(1997)年に建物跡と推定される遺構(住居状遺構)が発見され、現在のところわが国最古の例といわれる旧石器時代(約2万年前)の遺跡です。川原石で囲まれた直径10メートル程の円形の範囲には、12本の柱穴や2カ所のたき火跡と考えられる部分が発見され、石器製作を思わせる石器片と大量の石片が出土しました。また、多量に発見された石槍などは長野県や伊豆、箱根等の黒曜石で作られており、遠隔地との交流が知られるなど、旧石器時代の生活の一端を示す遺跡です。」とあります。

どの時代でも同じように、旧石器時代にも知の体系や生活技術の体系があったはずですがそれらのほとんどはうかがい知ることができません。
ただ、どこを訪れても明らかに言えることは川の流れ、あるいは湧水地の重要性です。
そこを水場としている動物を狙うためであったり、魚を捕るためなど食料を得るためももちろんですし、そもそも人間は水がなければ生きていけません。
旧石器時代人は遊動生活(nomadic life)を送っていたと言われますが、獲物を追いながら水から離れずに移動を続けるためには様々な知識の集積が求められたことでしょう。

参考:郡家今城遺跡発掘調査報告書─旧石器時代遺構の調査─高槻市教育委員会 1978、郡家今城遺跡(旧石器時代)高槻歴史Web、上尾歴史散歩 殿山遺跡から旧石器時代の石器~西日本で作られた石器の発見~、武蔵台遺跡 Musashidai site日本旧石器学会、第1回多摩川流域歴史セミナー2014年11月16日 国土交通省「考古学的視点から見た多摩川の歴史」小田静夫、令和2年度 かながわの遺跡展「相模川 遺跡紀行~3万年のものがたり~」神奈川県立歴史博物館、東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス、かながわ考古学財団考古資料館「吉岡遺跡群(綾瀬市)と用田鳥居前遺跡(藤沢市)」「津久井城跡 馬込地区(相模原市)」、かながわ考古学財団 考古学入門講座第5回 「ナウマン象に出会った石器たち-3万5千年前の石器製作跡か?-」畠中俊明、資源環境と人類 第 1 号 「後期旧石器時代前半期における環状ブロック群の多様性と現代人の拡散」島田和高、平成28年度考古学講座(神奈川県教育委員会)「西からやってきた氷期の狩人―南関東における瀬戸内技法と国府型ナイフ形石器」絹川一徳、『旧石器時代ガイドブック 』2009 堤隆 新泉社